昭和41年04月04日 夜の御理解
全ての事に心掛けと言うのが大事だと思うのです。例えば、お金を貯める人はやはり心掛けが違います。信心でも同じ事、信心でお陰を頂いていくと言う人は心掛けが違うのです。お互いその心掛けが間違って居る、心掛が間違えばやはり御かげになりません。そうです、もうお金など貯めると言った様な事など絶対心掛けの悪い人は貯まりません。どうでも一つ神様のお陰さえ頂けば、神様のおかげさえ頂けばと言う様にその漠然とした事を願って、そしてそれが漠然としてその掴み所がないものではいけん。
やはり心掛けが大事。信心も同じ事です、心掛けの悪い人が幾ら今逆たんぼ打っても駄目です、本当のお陰にならんです。私今日これは何時もの事ですが、何時も感心するのでございますが、あの上滝さんが今日、お母さんの方が参って来ましたからお届けするのですね。今度四番目の息子が大学の受験を致しましたけども出来ませんでしたから、今度予備校に行くのです。その事のお願いやら何やら事もございましてから参りましたんですけども、そのいわゆる受け方とゆうか心掛ですね。
私は家の子供たちに申し上げます、丁度今一番上のが高校を出てから西鉄に勤めて居りますから、今夜間の大学に行っています。二番目は勿論大学を卒業致しました。三番目が現在大学に行っております。四番目が又大学に入れようとしておるんですけど、現在だから長男と三男の二人が大学に行っておるから、神様が先生よーく見通しして下さいます。今年はあれが大学に受かりどんしたらとてもとても大変な事でございましたけども、やはり入学金だけでも何十万と言うお金が要ります。
学費でも大変な事でございます、神様がちゃんともうお繰合わせ下さってから出来ませんでした事がおかげだったと言うんですね。そしてその私は子供達に申しよります、総太郎(総一郎)君には何時も言うんですけども、とてもあんたたったこの位の百姓で、お母さんがこの位の商売しておる事でとても、あんたどんが手足が伸という事だけでも大変な事。人から別に後ろ指さされる事も無しに、無事にこうやってから成長のおかげを頂いてから、しかも一人一人が大学にやらせて頂くと言う事は並大抵の事ではない。
けれども、お母さんは思っとる、あんた達にはね、お父さんが居られんから、お父さんの居らん代わりに私は大学にやりよっとよと、一人一人に言うて聞かせた。だからあんたどんは、そのつもりであんたどんが、お父さんが居らんから寂しい、それを例えば大学に行ってとっても上滝の家の私の家の家からならこの中島に沢山のお金持ちが有るけども、どれだけの人が大学に行きよるか、それが皆四人が四人とも大学を志してもらい最後のさだみと言いますが。
さだみさんが今度大学に来年又大学に入れば皆大学に入る事になり、出ることになるのだと、それをお母さんがこういう気持ちで一生懸命だと、だからあんた達大学に行くとゆうこと、とてもてんばやすどん思うちゃならんと言うてから申しますから、子供達の一人一人が真剣でございますと言うのです。心掛けが違うでしょう。もうお父さんが居られんけん余所辺りは行かっしゃったでちゃ、あんただんもう高校で止めときなさい、中学で止めときなさいと言うのと違うのです。
お父さんが居らんからお父さんが居らんから寂しい、その変わりにあんた達を大学にやるという、その代わりにもうそれこそ、私は嫁にも本当にあんたがもうそうにそのお母さんは汚かと思いよろうのう、もうソーセージなんかこん位とば一本を二日に使うてくれんのと、お弁当さえにと言うてから、後は漬物でよかと言う訳ですね。それがそのほんに汚かち思うばってんから、こげな上滝のこんな訳じゃけんの、と言うてから嫁ごもそれを了としてこの頃それを聞いて始末倹約してくれますと言う。
心掛けが違うのです。それはほんとに僅かばかりの百姓だけども出来ませんが、その百姓させて頂いてから、かたそっばにああして化粧品のセールスさせて頂いてから、ね、確かに子供達四人を大学に二人を今出て、最後の一人が又入れば良いと言う、そうゆう切り詰めしら真剣な所を通っているからね、それでいてやっぱりあの御本部参拝の時には必ず参拝させて貰らうと言う心掛けが此の人にはある。
丁度私が御本部参拝して居る間にお参りして居りしてきとりましたが、通帳のお供えを御造営費としてからお供えして居りますもん、そして今日来てその事をお届けするんですよね。親先生私はもう一生懸命ならせて頂いたけども、もうどうしても神様に是々とお約束させて頂いている何分の一しか実際は出来ません、一生懸命なってもそこで私は考えました、これはさっちもっち銀行から集金に来てくれると言った様な定期預金でも入らせて貰うてからと思うてから、それが九月で満期に成ります処迄こぎつけました。
だから是が最後の御造営費、未だ九月ですが、九月に満期に成りますから、此の通帳を先にお供えさせて頂いと言う。又此の辺が違うですね。もう一時でももう一時でもです親先生に安心して貰らおう、一時でも私の気持ちを分かって頂き喜んで頂こうと言うのが、未だ九月にしか満期にならんのだけども、実は先生の御本部参拝中にお供えさせて頂きましたと言うて、聞きよって心掛けが違うでしょう。
子供に対するほんとに、成程お陰頂いて行く人は違うと,こう思うですね。これは本当にもう是は絶対心掛けの悪い人はお金を残し切れませんよ、もう心掛けです。だからお金を貯めると言う事何かはです、いわゆる信心でのその事がその心掛けにならせて貰うて、信心がその心掛けの良い心掛けを持って進めさせて貰わなければ、本当なお徳にはならないと思う。同時に私は些細な事の中にも心掛けが大事と言う事です。
確かにそうです。もう本当にこひれは金銭の事が一番はっきりして居りますから、金銭の事で申しまけれども、いつもお金が足りないと言う人は心掛けが悪いのです。信心も同じ事。ですからそこに本当に本気で心掛けを良くして頂いて、神様に勿論喜んで頂ける様な心を持ってです、日常生活の上に信心生活がそこになって行かなければいけん。皆さんも信心の心掛けがどういう事に成って居るでしょうか。
おかげの頂ける心掛けになって居るでしょうか、成程是なら子供達が追て来る筈だと、成程是ならば子供達でも嫁ごでも、お母さんの事わっしゃる事がほんな事と言うて追て来てくれねと言う事はです、その上滝さんのそん中から私は上滝さんのその信心をベタ褒。一から十まで良いとは思いませんけども、今日そのお届けの中からあの人は心掛けの良い人だなあと思たです。
これでは家庭も円満に行く、成程これで四人の子供を大学にでもやろうと言うその心掛けが、親が居らんから、人から笑われちゃならん、男親がおらんから笑われちゃならん、だから歯を食い縛ってもと言った様な根性では無いと言う事。本当にお父さんが居らんから、寂しいからその代わりあんたどん大学にやると言う意地とか張るとか言った様な物ではないです。本当にです心掛けそのものがです、神様の心の中にこう伝わって行く様なものを、その中から感じるじゃないですか。
どうぞおかげを頂いて下さい。